最近はとっても気づきが多いんです。
ここに少しシェアさせていただきますね。
ひとの話しを聞く
これって当たり前のことなのですが、
でもとっても奥が深いということに気づきました。
ひとの話しを聞くという行為の基本には、
相手の資源になる、という純粋な愛がなければ
それは話しを聞いたことにならないのです・・・ということに気が付きました。
(あ、わたし遅い?!・・・笑)
例えば、ある人から相談を受けたとします。
ついついどんな風に答えてあげたらいいのだろうか・・・と考えがちです。
そしてついつい、
「こうじゃないの、ああじゃないの、こうしたらいいんじゃないの、こうするべきじゃないの」
とアドバイスをしがち。
でも、ここは自分の意見を発表する場ではないのよね。
自分の意見を伝えることと、相手の資源になることは、イコールではない。
(『自分』というところからの意見は、イコールではない)
これは、相談を受けた時だけではなく、すべての会話にいえる話。
家族やパートナー、会社のひとに、ついつい指摘してしまったり・・・。
『指摘』が悪いわけではないけれど、
それが『私の』意見なのか、それとも相手の資源を想っての行為なのか、
ここがポイント。
相手の資源になれるよう、
つまり相手がさらに明晰になれるように、そんな資源になれればいいのよね。
だからそこ、相手をよく知らないと資源にはなれない。
相手をよく知るには、相手の話しをよく聞かないとわからない。
相手が心の奥底で本当に感じていることをがわからなければ・・・。
自分、私、他人という境界線がなくなったときに、
本当に『プライド』というおごりがなくなる。
浜辺の一粒の砂を見るのか、浜を見るのか、海を見るのか、
それとも地球や宇宙を見るのか。
幸せとは、お金でも愛でもなく、明晰性から得られるもの。
私は本当にそうだと思う。