ゴメンナサイ、私は完全ではないのです~!
私にはどうしてもとっても苦手な人がいます。
相手は自分の鏡だから、その方から学ぶことがあると
色々と視点を変えて「好きになろう」と格闘してきました。
今も・・・格闘しています。
あー、こんな自分はダメだと、毎回落ち込んで・・・。
そんなとき、なるほど~と思うお話をある方からいただきましたので、
シェアさせてくださいね。
その方は、経済からの解放について精力的に活動されていらっしゃる方です。
いわゆる資本主義社会の奴隷解放運動ってやつですね!
(奴隷=私たちのことデス)
でね、こうおっしゃったの。
「あなたは、友人に10円を貸して、
10円が友人から返ってこないからって怒りますか?
怒らないでしょ?
でも、それが1万円だったら、
10万円だったら、100万円だったら、1千万円だったらどうですか?
怒るでしょ!
でも、もしあなたが本当に億万長者だったらどうですか?
10万円や1千万円なんて、どうってことないでしょ?!
つまり、みなさんは、お金のものさしがとっても小さいのです!
ものさしが小さいから、あなたが人生で扱う金額も小さい」
ナルホド!
ということは、ですよ
私の愛のものさしは、小さいのです。
小さいから、『好きになれない相手』が好きになれないのです。
創造主みたいに、途方もなく大きなものさしをもっていれば
ちょっとくらいイヤなことされても
どーってことないんですよね。
だから、私は自分のものさしを大きくしなければ
扱える愛が小さく、幸せも小さいのです。
自分で小さくしちゃってるんだもん、
そりゃーしょうがないでしょ。
ものさしの大きさを決めるのは各々の自由だからね。
ということは、これの応用編を
プライドという自尊心 -つまり傲慢 で考えてみたのね。
ほら、
ノーベル賞とか一国の大統領、
世界初の宇宙飛行士だったり、ビル・ゲイツ
だったりしたら話は別なのかもしれないけれど、
(正直、この例はよくないけれど、まっニュアンスだけご理解いただければ幸いです)
私たち凡人は、本当に陳腐なプライドを持っていて
それを壊れ物のように大事にしまっています。
毎日あくせく働かなければいけない身でいるのに、
それでもプライドだけは高い・・・。
そんな陳腐なプライドを持っていてもしょうがないのにね~。
つまりプライドのものさしはBIGなのであります・・・ブフフ。
これが大きすぎるから、
プライド問題がついて回る事態に遭遇する。
ちなみに、「プライドなんてない」、と思っていても、まだアル・・・のです。
この自尊心ってのは、本当~に根が深い・・・とっても。
という風に、私は回想していたのです。
今はまだ『好きになれない』その相手も、
ものさしが大きくなれば、気にならなくなるんだね。
幸せと豊かさを呼ぶものさしは 大きく
自分を不幸にするものさしは ミクロ単位に小さく
そうしたいな~。
いや、そうしよう!
せっかくこの世に生きているんだもの!
私のものさしを最高に大きく伸ばして
もっともっと幸せになろっと!