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社会的淘汰 vs. 自然的淘汰

おはようございます、アナスタシア・ジャパンの岩砂晶子です☆

先週思ったことを、やっと書き出せましたので、シェアさせてください。

***

先日、耳に流れてきた「自然淘汰」という言葉が
どうもしっくりこなくて
ずっと考えてしまいました~(笑)。
(出版にかかわるようになってから、こういう癖ができてしまったのよねぇ~☆)

『自然淘汰』を辞書でひくと、

『生存上の諸条件に適する生物は生き残り、適しない生物は滅びるということ。自然選択』

とある。

「自然選択」・・・??? んんん???

ここで思ったのでございますぅ・・・
「自然」という言葉って、厄介じゃない?! って
「自然」って何を指しているの・・・? って。

本来、「自然淘汰」って
ひとりでに、ことさら意識したり、手を加えたりせずに事態が淘汰されていくさま
という意味のはず・・・。

つまり、
本来は『ひとりでに淘汰されていく』という意味よね☆

でもさぁ~「ひとりでに」なんてあり得ないはずよね☆
だって、
何かが作用していて、
それを存続させたり、逆に消滅させたりしているでしょ~。

じゃあ、
その「何か」ってなんだろう~?
ほら、
何となくテキトウに意識した何かを放ち、
さらにそれを、その「何か」に放任してしまうような意識の使い方って
モッタイナイじゃない☆?!
その「何か」が何なのかを知っておいた方がいいと思うのよね。

アナスタシアたちが言うように、
「すべてのはじまりは意識」☆
そして
人間の意識って、わたしたちが使えている範囲よりも
遥か~にパワフルだと思うのよ。
そのパワフルさを体験してみたいじゃない☆

そこで、もう少し考えてみたわけ~☆

そしたらね、こういう考え方もできるなぁって思ったの。
「自然淘汰」の「自然」には2種類ある。

●その1●
自然=ナイチャー・森羅万象・創造主によって淘汰される

●その2●
自然=社会によって淘汰される

現代人のわたしたちは、
あまり深く考えずに、
今の自分にとって都合の良いものをナントナク選択し、創造している。
そして
自分が選択したものごとの意義だったり、
成功・失敗、更に発展させるか否かといった判断を、
社会に放任しているように思うの。

社会が必要とするのであれば、生き残り、
社会にとって不必要であれば、淘汰される・・・。
だから、
自分たちにとって都合が良いものであれば、
取り敢えずなんでも創造しちゃってOK・・・みたいな。。。

(たとえば、なにかを発明した企業にとって
利益の出る見込みがあるものは、その企業にとっては都合がいい。
それが、たとえ数百年後の人類に悪影響を及ぼそうとも
今の人々の生活が楽になるのであれば、製品化していいじゃない・・・という感じ。)

話を少し戻しますね。
「社会が必要とするのであれば、生き残り、
社会にとって不必要であれば、淘汰される」

でも、「社会」はその時代を生きる人間の集合意識でできているでしょ~。
もし、その集合意識が「自分たちの時代のこと」しか配慮していなかったら、
次世代の森羅万象たちはどうなるの?

だから、あーモッタイナイって思ったの。

人間に与えられている意識をフル活用すれば
そしてそれが、「時代越え、森羅万象を含めたすべてにとって、善なるイメージ」であれば、
ネイチャー(その①)によって
創造したイメージが無限大に拡大しながら成長するのにー☆☆☆

これが、
人間が本来活用すべき「自然的淘汰」ヨ(ハートマーク)

だから、
メタバースとか
デジタル化の加速がスタートしている今、
「社会的淘汰」に放任してしまうことは、
モッタイナイな~と思ったのでございますぅ☆

アナスタシア ジャパン

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そして彼女の美しき未来の提案をお伝えしたい
アナスタシアの構想が、今地球上に山積する問題を一掃する最高の方法であると感じ、
美しい未来を創造するために、株式会社直日は誕生しました。

出版社として日本語版『アナスタシア ロシアの響きわたる杉』シリーズの
第4巻以降の刊行を行うとともに、
シリーズに登場するアナスタシア推奨のシベリア杉のオイル、
タイガの厳しい自然が織りなす恵みの輸入販売をとおして、
皆さまの心身の健やかさのお手伝いをさせていただいております。
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