早朝、なんとなく目が覚めた。
まだ太陽は昇っていなくて、お外は暗いみたい。
ぬくぬくベッドの中で、大好きなまどろみタイムとしましょ~。
頭はまだ睡眠中だけれど、でも目は覚めていて、ぼんやりしていたそのとき
突然そのビジョンは、私の頭に降りてきたんです!
それは、私が若干悩んでいたあることに対しての解決策ビジョンでした。
「悩んでいた」というとちょっとオーバーかな、
どうしたらいいのかな~、と思っていた程度のことだったんですが。。。
でも、おそらくこのビジョンが降りてこなければ、
近い未来、私は困っていたと思うんですね。
そのビジョンは、まるでインスピレーションのようなもの。
特に映像として見たわけではなく、
はっきりとしたインスピレーションが降りてきた、
と言った方が適格かもしれませんね。
そっか!
そうだよな~。その通りだな~。
と、このインスピレーションにとっても納得したのでありました。
私は昨日訪れたドルメンでは、例のひとつのお願い事以外は、
何も思いつきませんでしたし、
悩み事相談もしていないのに
即、こうしてインスピレーションが降りてくるなんて!
ドルメンの意識存在たちはすごいな~。
あ~感謝~(ハートマーク)。
こうして、今日も素晴らしいスタートを切ったのでありました。
黒海は青く、朝日が昇った空は、次第に海のように青く澄んでいきました。
泊まったホテルの朝食がそれはそれはデリシャスで、
毎朝が楽しみであります。
さて、実はこのゲレンジークの旅の目的は、ドルメン以外にもうひとつあって、
かねて訪れたいと思っていたところがありました。
それはシリーズ3に出てくる、創立者である学者のシュチェティーニン先生の学校です。
シリーズ3から、真の教育を行っているすばらしい学校だという印象を持っていました。
見学はしてみたいとは思っていましたが、その学校には子どもたちの輪、世界がありますから、
それを邪魔するようなことはしたくないと思っていました。
ところが、今回ゲレンジークに到着してから知ったのですが、
学校側が見学を承諾してくださったとのこと。
このご縁に感謝して、ありがたく見学をさせていただくことにしました。
今日もまた、セルゲイの豪快な運転テクニックで
ヘアピンカーブをぐるんぐるん~ (若干車酔い・・・)
目的地の学校に到着したのでありました。
日本の学校とは違い、四角い建物や運動場という具合ではないので
一見学校には見えません。
ひとりの男の子が、落ち葉を掃いていました。
「ドゥブレウートラ(おはようございます)」。
まだ10歳くらいでしょうか、彼の微笑みはとても柔らかく、
しかし物怖じすることもなく、落ち着いた、なんというか小さな大人というか、
自主独立した、ひとりのすばらしい個の存在を感じました。
学校を案内してくださるのは、アンナ先生。
「これからご案内しますが、どうか頭で考えず、ハートで感じて理解してください」
これが開口一番、彼女が教えてくれたこと。
でも、今、こうして振り返ってみると、彼女がおっしゃったことは
的を射ていると思うのです。
私は過去に、このような学校を見たことがありません!
ここは、私たちの社会の価値観とはまったく異なった価値観の上に築かれた学校。
アナスタシアがいう価値観と非常によく似ていて、まさしく誠の教育がなされている!
私はそう感じました。
アンナ先生が教えてくださったことを
できるだけ思い出して、ここに書いてみます。
「こどもは宇宙的な存在です。この学校のすべては、子どもたちのハート、マインド
そして子どもたち一人ひとりの手によって創られました。
この学校では、誰しもが自分の力ですべてをこなすことができる、と考えています。
ですので、子どもたちは、料理、家事、そして家まで自分たちの手で造っています。
ここは学校からカレッジまでの学問を学ぶことができる場所ですので、
継続的な勉学の場所といえます」
そう言って初めに女子寮を案内して下さいました。
子どもたちによって設計され、子どもたちの手で建てられた建物に入ると、
美しい壁画が一面に描かれています。
これも子どもたちが描いたとのこと。
プロの大人 顔負けです!
そしてお部屋をみせていただくと、6台くらいベッドとチェストが置いてありました。
どのベッドにも布団はなく、またチェストの上にも何も置いてありません。
それらはまるで新品の家具に見えるし、生活している痕跡が見えない。。。
「ひとの内面は美しくなければいけません。
そのためには、身の回りのすべてが美しくなければなりません。
何故なら、自分の目の前にある物、ひと、そして自分に起きる出来事の
すべての責任は、自分自身にあるからです。
ですから子どもたちは、自分の部屋も、建物もすべて自ら美しくしています。
そして、自分ですべてを美しくできるノウハウを知り、それを実践できなければいけません。
子どもたちは『好き勝手ができるんだ』と思われるかもしれませんが、
ここでは全ての責任は自分自身にある、という概念を基本にしています。
自分の目に映るすべて、そして出来事は、すべて自分の責任なのです。
各部屋には異なった年齢、10歳くらいから16歳くらいまでの女の子たちが、
6名から8名のグループで暮らしています。
勉強、お掃除、お料理といった暮らしのすべてを共にしています。
年長は自分の知っているすべてを年下の子どもたちに惜しみなく分け与え、
年下の子どもたちは自分たちのハートを開いてそれを受け取るのです。
また、この学校では、いわゆる『授業』という概念はなく、それを『クラス』と呼んでいます。
クラスでは理解できた生徒たちが、まだ理解できていない子どもたちを教えます。
なぜなら、自分の前にいるこの『まだ理解できていない子』は、まさに自分の責任だからです。
教師とともに教え、学び、勉強をするのです。
ここの教師は、『私は教師で、あなたは生徒だから私に服従し、私の言う通りにしなければならない』という
現在のヒエラルキー的、典型的な教師であってはなりません。
生徒とともに暮らし、共に学んでいます。
彼らが求めた時に、専門的な知識をお伝えし、サポートしています。
そのため、ここでは若い教師が多いのです。
熟練の年配の教師たちは、どうしても教師たる者という態度や、今までの典型的な教育方針が経験にあり、
そこから抜け切れないのです。
また各教師には、専門分野はありますが、それでも他の教科にも長けていなければ
全体性を子どもたちに伝えることはできません。
ですのでオールマイティーでなければなりません」
先生が説明をしている最中に、ダンスのクラスを終えた女の子たちが寮に戻ってきました。
一人ひとり、大地と天にしっかりつながっている、立派な存在というオーラ。
動じることもなく、ちゃんと目を見て挨拶をして行くのです。
「私たち一人ひとりには、私たちの先祖からの遺伝子が入っています。
そしてすべての叡智は一人ひとりの内に既に備わっているのです。
ですから、それを単に目覚めさせるだけなのです。
私たちは、合唱、そしてこの地域の伝統武道のクラスを必須科目としています。
ご先祖様たちも歌ってきた歌を歌い、また伝統武道では身体を動かすことにより、
その動きやリズムを通してご先祖様たちから学ぶのです。
そしてフォークダンスでは、世界各国のダンスを学びながら、
自分たちがロシア人であることを身体び感じて学びます。
これらの科目は必須で毎日行われますが、その他の教科は同じ科目を4,5日間連続して学んでいます。」
つづく・・・